●同窓会功労賞を受賞して
同窓会功労賞を受賞して
同窓会函館支部長 三浦 良蔵
機械工学科二期卒業 有限会社三浦鉄工所

・・・大学の思い出・・・
当時の大学周辺には住宅も少なく、手稲山おろしの寒風吹き通る草原の中にあり、手稲駅から大学の校舎を望むことが出来、バスの本数も少なく通学に大変でしたし、大学の施設も充分ではなく、コンピューターも1台を全学で共同使用し、今の様に恵まれた環境は、当時の手稲を知る者として、大変羨ましく思い、皆さんも同感することと思います。
卒論ゼミメンバーのアパートに一週間程泊まりこみ、講義を終えてから徹夜で卒論をまとめた思い出、それまでは、各々が個々に努力をしてきた時と違い、メンバーと一緒に卒論をまとめるという共同作業は、卒論を無事に終えたという達成感とお互いを思いやり、他の意見も尊重するという体験を得、現在の自分に大層な積み重ねとなっております。

同窓会函館支部長 三浦 良蔵
機械工学科二期卒業 有限会社三浦鉄工所

・・・大学の思い出・・・
当時の大学周辺には住宅も少なく、手稲山おろしの寒風吹き通る草原の中にあり、手稲駅から大学の校舎を望むことが出来、バスの本数も少なく通学に大変でしたし、大学の施設も充分ではなく、コンピューターも1台を全学で共同使用し、今の様に恵まれた環境は、当時の手稲を知る者として、大変羨ましく思い、皆さんも同感することと思います。
卒論ゼミメンバーのアパートに一週間程泊まりこみ、講義を終えてから徹夜で卒論をまとめた思い出、それまでは、各々が個々に努力をしてきた時と違い、メンバーと一緒に卒論をまとめるという共同作業は、卒論を無事に終えたという達成感とお互いを思いやり、他の意見も尊重するという体験を得、現在の自分に大層な積み重ねとなっております。


大学は、関係者皆様のご努力が実り、発展を重ね、当初の機械、経営の2学科から学科の増設が進み、大学院も開設され、平成13年には、時代の潮流にあわせて学科が再編成され8学科となり、機械工学科は機械システム科となりましたのは皆様には承知のことと思います。
・・・同窓会の展開・・・
大学は、昭和42年4月に開設され、同窓会は、昭和46年3月に第一回卒業生が誕生と同時に、会員数137名で発足。同窓会運営に携わった大勢の歴代幹事のたゆまぬご努力の結晶として、安定運営がなされるようになり、他に誇れる同窓会になったと確信いたしております。
函館支部は、同窓会発足から遅れること12年、東同窓会名誉会長が中心となり、昭和57年12月、8名の同窓生の出席にて設立委員会を開催し、昭和58年4月に地域支部として、帯広、東京に続き、室蘭、根室各支部と同時に活動を開始し、本年、平成18年で23年の歳月を重ねております。
現在、総数おおよそ200名内外の同窓生を道南の地区に有し、機械工学科出身者は、50名強のメンバーで他科に比べて高い比率にあります。多数の先生のご出席をいただくためにKODAIセミナー、地域懇話会にあわせて、年1回の懇親会開催を中心に活動を続けております。初代支部長には現同窓会名誉会長の東さん、二代目支部長には機械2期の堀内さん、そして、私が三代目の支部長になりましたのが平成元年、設立から本日に至るまで、同窓会本部から多大なる応援をいただき、支部幹事メンバーにも恵まれて、支部長を続けております。
懇親会開催で、毎回頭を悩ませるのは、出席を依頼する先生の選考と、出席者を集めることにあり、偏った出席依頼になってしまっているように感じておりますが、特に出身学科の機械の諸先生には毎回力強い応援を頂いております。ご出席いただいた先生は数え切れませんが、堀内ゼミ出身の私にとっては、堀内先生にお会いできるのは大変うれしく、卒業後もあの名調子を拝聴し、懇親会を盛り上げていただいたこと、そして、小田切先生のユニークなお話、大滝先生、丸山先生、白浜先生、河合先生、本年は登坂先生と思いつくままに上げて見ました。困った時の機械工学科は、大変有難く、その所為か毎回の懇親会出席者も多く感謝致しております。同じ業界にいても出身がわからない場合もあり、同窓会はある意味、異業種交流会との考えでおり、交流の機会作りのため、出席同窓生の紹介を必ず行うようにいたしております。


平成15年から新しい学科の卒業生が支部の同窓会名簿に記載されました。新しい学科の編成が、今後の活動にどのように影響して行くのかわかりませんが、これからも、先生が在学生とのつながりを豊富に持つことで、同窓会活動に応援をいただくようお願いしたいと考えます。この点では、機会工学科の今までは、他科に抜きん出ていると誇りに思っておりますが、現在の在学生は、集団への帰属意識が低いと言われておりますから、これからが正念場かなと思います。
・・・功労賞受賞・・・
今回の受賞対象になりました青森支部設立は、青森の皆さんの絶大なるご協力のもと、平成11年4月、支部設立がなされた次第です。設立活動のための時間が継続して取れないため、足踏みをしながら、おおよそ2年を越える期間、函館支部活動事業の柱として推進をいたしました。結果、支部が支部を作ると言う、おそらく同窓会史上初めての活動となり、青森支部初代支部長は機械4期(昭和49年)の吉田憲司さんに引き受けていただきました。今日、青森支部が活発に活動を続けられていることは、吉田支部長の指導力のたまもので、これからも、ますます発展されることを願っております。
もう一つの受賞理由の支部活動は、ここ数年は、函館工業高校に教育実習生として実習体験をされる、本学在校生の激励会を開催し、同窓会の存在を知らしめる為に、在校生への同窓会啓蒙活動の「教育実習生激励会」を、高校に先生として在職中の卒業生にも参加をお願いして開催いたしております。各地の高校には、大学の卒業生が先生として勤務されていると思います。その方たちの協力を得ての活動であり、このことは、同窓会機械支部が益々の発展するためのヒントかも知れません。
受賞を機会に、今後の同窓会活動のために、ひとつ、ふたつ、提案をさせていただきました。
一つ目は、同窓生子弟の入学優遇制度が導入されておりますが、同窓会支部推薦枠の創設を考えていただけないかと言うことです。
工業立国のわが国を支えているのは、中小、零細の企業であり、その後継者の育成は、本学建学の精神にも合致するものであると考えます。支部推薦枠で希望者に進学の機会を与えることは、学校推薦枠以上に、「子供さん頑張ってますか」とか、「様子はどうですか」など声掛けができるなど、地域で生活をする私たちと、親御さんとの関係を深めることができ、支部活動に参加に親御さんからも協力をいただけると考えられます。大学が子弟の親御さんを引き入れて地域との関係を蜜にする機会をもつことは必要ですし、各支部も存在する意義を見出せるのではと考え、運営するためには、色々な問題点が考えられる荒削りな発想ですが、皆さんのお力で創設に向かうよう、ご検討をお願いしました。
二つ目の提案として、各地の懇親会をCDに収めて、1枚に構成して各地の支部懇親会で披露することは、イベントのひとつとして「各地の学友に会おう」などの題目で、同窓会会員に案内が可能となり、目玉として使えるのではと考えみました。例えば、函館の同期から旭川の同期へ、「元気か!」とCDでやり取りするのも面白い発想ではありませんか。同窓会出席の向上も望めると考え、ご検討をお願いしました。
函館は、北海道においては、古い歴史を持つ町です。古くから、志を持って本州の大学に進学をされる先達が多く、卒業後、故郷函館に戻り、その出身大学の栄を背負い、その大学の持つ伝統と文化そして風土、同窓生同士の緊密な繋がりを身近に体験するにあたり、本学同窓生もその一角に並ぶことは出来ないものだろうかと考えておりました。開学40年になろうとしている今、少し望みに近づいたと理解いたしております。
私の夢は、同窓会活動をとおして、同窓生が助け合い、地域経済を支えてゆく人間関係を作ることであり、地区に在住する同窓生の大学への窓口となることです。日々の支部活動は、平々凡々と同じことを確実に繰り返し、その中に同窓会活動に寄与できるものを見つけ、活動を続けてゆくことであり、完成の日付けを決めることなく、この夢の実現にこれからも邁進したいと思っております。
今回の受賞は、同窓会本部、関係各位の応援をもとに、函館支部幹事会メンバーが一緒に受賞したもので、私たちの活動に励みとなり、各地の支部活動の励みと思っております。推薦をいただいた機械7期(昭和52)、河合洋明さんに、このような栄誉ある賞を受賞する機会をつくっていただいたことは、機械工学科に在籍したためかと考えてしまう次第ですが、推薦を認定していただいた同窓会本部の関係各位に今でも有難く思っております。
受賞記念でも話しましたように、私は北海道工業大学に入学を許可され、良き師、良き仲間、加えて今、地域の良き同窓生に恵まれる機会を与えてもらい、北海道工業大学同窓会功労賞という栄えある賞を、函館支部を代表して受賞することは、北海道工業大学機械工学科、北海道工業大学同窓会、そして同窓会函館支部が、私に機会を与えてくれたものと感謝いたしております。
函館支部の機械のメンバーは、まとまりも良く支部活動にも積極的であり、有難く考えております。これは、在学時に学生と先生の関係が蜜であったためと考えられ、他科にないまとまりの様に感じております。出来ますなら、これからもその様な関係を作っていただき、同窓会活動に力を与え続けて欲しいと考えております。
ありがとうございます。
(平成18年9月13日掲載)